ものの価値とは

 

 ある番組の中でNHKの山根基世さんが話していた言葉が妙に印象に残っています。

曰く「良いものにはそれなりの価値があるのだから、それ相応の対価を払うのは当たり前の

事ではないだろうか」。全く異存のない意見である。デフレのせいもあって、最近のスーパー

では、安いものが氾濫している。しかし中には、安ければ安いなりの価値のものも少なくない。

 メーカーとしてはコストを下げようと思えば原料か加工費を下げざるを得ない。山根さんは

なじみの手作り豆腐屋さんの話をしていた。豆腐屋さんは若い人がやっているらしいのですが、

そこの「揚げ」は絶妙なる味なのだそうです。どう絶妙なのかとは、私達の世代でないと分から

ない事なのですが、「揚げ」に醤油をかけただけでも食べられると言うことです。

 私達が子供だった頃には、「豆腐」にも「揚げ」にも大豆本来の味と香りがありました。近所に

土方仕事に来ていたおじさんが、弁当代わりに八百屋で木綿豆腐一丁を買って、その八百屋

で借りた醤油だけをかけて食べていたのを思い出します。実においしそうに食べていました。

こんな食べ方が出来るのも豆腐そのものに、それなりの味と香りがあったからではないでしょうか。

「揚げ」などでも狐寿司にするために甘辛く炊いたものは、もうそれだけで十分おかずになるくらい

のおいしさだったように思います。

 八百屋がなくなり、スーパーマーケットがその代わりをするようになってから、いつの間にか

食べ物の本来の味が失われていったような気がしてなりません。大量生産、大量消費は手作り

の持つ味わいを忘れさせてしまったようです。卵にしても田舎の家の床下に飼っていた鶏の卵は

とてもおいしかったように記憶しています。見た目は変わらないのですが、まるで味が違うのです。

 今日、デフレで生産者は泣いています。大型電気店の店頭に並んでいる電化製品の安さは驚く

ほどです。ステレオは私達が会社に入った頃(昭和38年頃)は高嶺の花でした。給料は安く電化

製品の多くは、あこがれの品物のオンパレードでした。給料が少し上がっても、その状態はあまり

変わりませんでした。しかし、昨今の電化製品は、その当時の価格よりは遥かに安くなっています。

その上、性能は数段上になっています。海外からも低コストの製品がどんどん輸入されています。

パソコンはわずか4年ほど前までは30万円近くしていたものが、性能は数段上になり、価格は逆に

20万円を大きく割るような低価格になっています。

 このような低価格製品の出回る背景にはメーカーの血の出るような努力があります。製品の品質

が良くなり、価格が下がる。消費者にとって、これほどありがたいことはないのですが、単純に喜ん

でいて良いのでしょうか。私達は消費者であると同時に、生産者でもあるのです。原料コストの引き

下げには国際的な背景もあって、自ずと限界があります。従って、製品価格の引き下げには人件費

の引き下げが欠かせません。今までにも度重なるリストラを行い、最早限界ではないだろうかと

思われるようなところまで人員を削減しています。人件費の削減は賃金アップにも大きな妨げと

なっています。労働組合としては雇用か賃金かを問われれば、どうしても雇用を選ばざるを得ない

からです。しかし、その選択ですら自由度はなくなっています。賃金が上がらなければ購買力も落ち

ます。これは理の当然です。

 こうして止めどないデフレスパイラルは、地獄の一丁目にさしかかっていると言っても良いのでは

ないでしょうか。何が悪いと言っても、ここまで経済を追いつめた政治が一番悪いと思います。

しかし、そうとばかり言っておられない現実があります。良いものには金を払う。これは経済の基本

原則です。日本の技術力を支えていこうと思えば、みんながそれ相応の負担を覚悟しなくてはなら

ないのではないでしょうか。おいしいものを食べたい。良いサービスを受けたい。良い製品を手に

したい。そう思えば、それなりのお金を支払わなければならないと思うのです。

 私達はあまりにも急激な価格ダウンを図りすぎたために、本来は見失ってはならないものまで

見失ってはいないでしょうか。もちろん、怒濤の如く押し寄せてくる国際化の波の中で、抗すべき

ものは抗していかなければなりません。知恵をしぼり対抗すべき努力を怠ってはいけないと思い

ます。一方、国内の産業を疲弊させないためにも、伝統を守るためにも、いかにあるべきかを、

努力と知恵をしぼって考えていく必要があるのではないでしょうか。

 ともあれ、価値あるものには、それ相応の対価を支払う。この姿勢だけは、不変のものとして

守っていきたいものです。

政治、経済、社会問題へ戻る

ホームへ戻る