望郷メール

 自分からメールを出すことはあっても、相手からメールが来ることは割合少ないものである。ましてや親戚から

となると、まず、その可能性は皆無に等しいと言っても過言ではないだろう。私の場合はホームページを作って

公開しているので、検索をしていて偶然見つけたのだと言ってメールをくれる人が多い。それらの人の多くは

果樹栽培の相談や、私の書いている政治、経済、社会問題などを読んでの感想などである。

 私のふる里は広島県の神辺であるが、神辺に住んでいる人達からも何度かメールを貰い、それが縁となって

ホームページの相互リンクをしている人もいる。それでも、その数はごく限られている。その他は同級生が多い。

 実は先日、思いがけないメールが届いた。私が幼い頃から第二のふる里だと思っている三重県の大台町

(昔は三瀬谷と言っていた)の親戚の息子さんからだった。親戚とは言いながら、彼とは遠い昔たった一、二回

だけ顔を合わせた位の間柄だった。今年は年賀状に私のサイトのURLを書いて送った。今までは不特定多数

の人に出す年賀状なので、メールアドレスだけにとどめて置いた。しかし、今年が定年退職の年なので、親しい

人にはサイトのある事を知っておいて貰おうと思ったからだった。彼は、その年賀状を見てホームページを訪問

してくれたのではないだろうか。

 ホームページには、私が幼かった頃の思い出をたくさん書いている。その中には、母のふる里である大台町

(三瀬谷)の事も書いている。送られてきたメールには、それらの記事を読んだ感想も書かれていた。彼にとって

も大台町は忘れがたいところのようだ。望郷の思いが書かれていて、その思いがひしひしと伝わってくるような

メールだった。メールには雪の日の写真が貼付されていた。家の裏当たりの景色だろうか。残念ながら私には

夏の思い出しかない。と言うのも訪れるときはいつも夏だったからだ。山深いところだから、こんな雪景色の日も

当然あるだろう。彼の記憶の中には、四季を通じての思い出がいっぱいつまっているのではないだろうか。

 故郷を後にした者でないと、故郷に対する思いは理解できないだろう。思い出の大半は、月日が経つに連れ

忘れられていくのだが、いやな思い出ほど忘れてしまい、良い思い出だけが凝縮されて残っていく。それらは

極限まで凝縮され、たまらない望郷の念となって心の奥深くに仕舞われている。そして、何かのきっかけで急に

蘇ってくることがある。きっと、彼にとっても同じような思いではないだろうか。

 三重県の山深く清流宮川の流れる大台町(三瀬谷)は、自然豊かで大変風光明媚な土地である。周辺は杉や

檜の山また山である。林立する杉や檜などは、昼なお暗い森を作り夏でも涼しく、ひぐらしの鳴き声が何とも

言えず懐かしく思い出されるのである。

                                                 2004年2月3日掲載

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