あるがままに生きる

 会社勤務の四十数年間、色んな事がありました。楽しいこともありましたが、苦しい事やいやな事もたくさん

ありました。誰だって何もない人生などありはしないのです。そんな人生が仮にあったとすれば、これはこれで

又、つまらない人生に違いないのです。生きている限り、みんな、それぞれに悩みや苦しみを持っているのでは

ないでしょうか。

 先日、NHKの「心の時代」という番組を見ていました。お話をされているのは松原泰道というお坊様でした。

松原さんは現役時代、仏教の布教活動に大変尽力をされた方でした。お坊様と言えども生身の人間です。

松原さんにも松原さんなりのいやな過去があり悩みがあったようです。それは義理のお母さんとの長い間の

確執だったようです。

 松原さんの本当のお母さんは松原さんが三歳の頃に亡くなられたそうです。従って、後妻に来られた人が

育てのお母さんでした。お母さんは感情の起伏が激しい気難しい人だったようです。単なる義理の親子の

間柄を越えて、このお母さんには悩まされたと話しておられました。松原さんが結婚をされ、本山からの命令

で地方に出向かれていた時、奥さんからの手紙は全てこのお母さんが握りつぶしてしまい、松原さんの手元

には一通も届かなかったそうです。お母さんは新婚の二人に嫉妬していたのです。その事を知らない松原さん

は妻を疑い、妻の方は何で疑われるのか分からないと言った一時期があったそうです。お母さんがお手伝い

さんに命じて夫婦間の手紙のやりとりを邪魔していたのです。その事実が分かったのは、ずっと後の事だった

そうです。

 そんなお母さんでしたが、松原さんのお母さんに対する見方を変えさせたのは、お母さんの疎開先へ出征の

ための挨拶に行った時だそうです。出征すればもう一生会えなくなるかも知れないと思ったお母さんは、松原

さんを見送る時、電柱にもたれかかっていつまでも遠ざかるバスを見送っていたそうです。その表情が、何とも

言えず寂しげであったそうです。その時、松原さんはたとえ気難しい育ての母ではあっても、お母さんの表情

に母の愛を感じられたようです。

 その後、お母さんは疎開先の防空壕で爆弾の直撃を受け亡くなられたそうです。奥さんが遺体を引き取りに

行かれた時には、体は丸焦げになってしまい、しゃれこうべだけの姿だったそうです。その事を聞いた松原さん

は、被災した死体を見るたびに、お母さんもこのようにして亡くなられたのかと思い、大変不憫に感じられたそう

です。と同時に、お母さんへのわだかまりも次第になくなっていったと話しておられました。何と言っても乳飲み

子に近い頃から自分を育ててくれたお母さんです。そんな心の変化があってから、松原さんの胸の内に長い間

つかえていたものも少しずつ薄らいでいったと話しておられました。

 この世の中、決して一人で生きていく事は出来ません。みんなの力に支えられて生きているのです。般若心経

の教えの中にも、その事が語られています。人間は渦の中にいる時、何とかその渦から逃げ出したいともがき

苦しみます。それは生きようとする力がそうさせるのだと思います。生あるものであれば当然の行為です。しかし、

渦はいつまでも長くは続きません。そのうちに、すーっと消え、後は何事もなかったように穏やかな流れになって

しまいます。同じように、苦しいのは長い人生の中で、ほんの一瞬の事なのです。少しだけ苦しさを我慢して、渦に

身を任せる事が出来るようになれたら、どんなにか楽なはずなのです。しかし、凡人であるがゆえに、なかなか

そのような気持にはなれません。

 松原さんも話しておられましたが、物事を裏返して見れば、また違うものが見えてくるのではないでしょうか。

苦しい事も辛い事も次への展開だと思えば同じ苦しさであっても違うものに見えてくるのではないでしょうか。

どうせやらなければならない事、通り抜けなければならない道だとしたら、避けては通れません。覚悟を決めて

渦に身を任せるしかないのです。時間が過ぎれば、いつかは終わっていますし、渦の中も通り抜けています。

 この世の中に無駄というものはありません。一見、無駄に見える事ではあっても何か意味を持っています。

そう考えると一日一日が非常に貴重なものに思えてきます。私は管理職試験を受けて以来、いろんな事に

遭遇してきました。時代はバブルからバブル崩壊の時代でした。会社自体が今まで通りの事をやっていたの

では生き残る事が出来ない時代でした。ひところは三百人を越えるような人員でしたが、二百人近くまでの

削減を余儀なくされたのです。だからといって仕事が減った訳ではありません。それどころか、生き残りを

かけて色んな事に挑戦をしなければならなくなったのです。今まで取り組んだ事のないような手法が次々に

導入されました。それらは通常の業務に上乗せのような形で新たな負担になったのです。各種の資格受験

もその一つでした。電気屋は電気屋だけの資格を持っておれば良いという時代ではなくなったのです。試験と

聞けばいやで逃げ回っていたのですが、どうしても受けなければならなくなりました。それこそ死にものぐるい

の時代でした。しかし、いやな事も度重なれば慣れてくるのでしょうか。ある種の楽しさを感じるようになった

のです。これをある種の達成感とでもいうのでしょうか。

 私は大変運の良い人間だと思っています。苦しい事やいやな事があっても、土壇場に来て急に前が開けて

来るのです。助け船のようなものが現れて、いやな事や苦しい事から難なく抜ける事が出来るのです。その

多くは人との出会いです。私に力を貸してくれるような人が必ず現れて来るのです。もちろん、私自身もそれなり

の努力をして来ました。

 人に接する時、相手の人を色眼鏡で見る事は避けて来ました。素直な心で接して来ました。相手の人を自分

と対峙する人として見るのではなく、相手の懐に飛び込むようにして来たのです。その思いは相手にも通じるの

でしょうか、そう易々とうち解けてくれる人ばかりではありませんが、多くの場合、私を助けてくれるような立場の

人になるのです。

 人間ですから心穏やかな日々ばかりではありません。心の中では腹を立てる事もあります。そんな時には

ぐっとこらえ我慢我慢と自分に言い聞かせます。それと同時に自分にまだ何か足らないところがあるのでは

ないだろうかと自分自身を見つめ直す事にしています。

 私はこんな事も考える時があります。自分以外の人はみんな仏様であり神様なのではないかと。それゆえに、

自分を試していて自分に対し、もっとしっかりせよと叱咤してくれているのではなかろうかと。そう思うと、何かしら

本当にそのように思えてくる時があるのです。

 さしわたり、一番身近にいる妻は私にとって最も尊い存在なのかも知れません。言い換えれば私に最も近い

菩薩様なのかも知れません。そのことは裏を返えして言えば相手の人にも言える事です。このようにして、この

世に存在する全てが、お互いにとって神様であり仏様なのではないでしょうか。もっと、その事を自覚し、お互い

を大切にし尊重し合わなければならないように思うのです。

 「あるがままに生きる」という題名とは大分遠い話になってしまいました。しかし、我が心の確執を取り除き、

或いは、乗り越える事によって、「あるがままに生きる」事が出来るようになるのではないでしょうか。心に壁を

作っている間は、その壁が邪魔をして、「あるがままに生きる」事が出来ないように思えるのです。

 こんな事を書きながらも私自身まだまだ未熟者であることを自戒しながら、人間として成長するように、日々、

努力しています。

                                                2003年10月26日掲載

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