在りし日の同窓会

 たった二人から始まった中学校時代の同窓会は二十数人もの仲間が集まるようになりました。それも毎年

決まって秋には一泊旅行までするように親しい間柄になっています。今年は十一月の最後の連休に倉敷や

総社、岡山といった一泊二日の旅を楽しむ事になっています。

 今日は倉敷同窓会と名付けた会が発足するまでの足取りをたどってみたいと思っています。それというのも

先日、人間ドックに行った際、検診を受ける建物からF君が勤めていた会社の社員寮が見えたからです。

毎年の事ながら、ここに来るとF君の事を思い出します。彼はK社に勤めていました。一度は転勤をしまし

たが、すぐに倉敷に戻ってきました。

 F君が倉敷同窓会のメンバーになった時、彼が音頭をとって彼の会社の社員寮で同窓会を開く事になりま

した。最初からの仲間であるT君とF君、そして小生の三人でした。古い大きな木造建築でした。かなり年を

経ているようでしたが、あまり痛んでいるようには見えませんでした。今では、とても建てる事が出来ないような

立派な建物でした。さすがは地元の財閥が建てた建物だけの事はあると感心しました。

 屋敷の中央にある大きな座敷にテーブルを置き、近くの料亭から取り寄せた会席料理が並んでいました。

季節は夏から秋にかけての頃でしたので、窓を開け放して夕暮れの庭を眺めながら会食をしました。庭も又、

建物にまさるとも劣らないような手入れの良く行き届いた庭でした。これだけの庭を維持しようと思えば相当

なお金が必要なのではないでしょうか。

 飲むほどに酔うほどに三人とも気持が良くなり、レトロ調のお屋敷の中で、いささかタイムスリップしたような

感じになりました。大正時代も昭和の初期も知らない私達ですが、当時のお金持ち達は、こんな立派な建物

の中で優雅な気持で談笑していたであろう事が容易に想像されました。管理人さんも、この家にふさわしい

上品な方で、真心のこもったもてなしを受けました。

 ここで気持良く飲んだ後は、お決まりのコースでした。歌がとても上手なF君でしたから、スナックに行っても

彼の独壇場でした。そのF君はある年の瀬も押し迫った頃、突然亡くなってしまいました。脳溢血でした。とても

脳溢血で倒れるような年齢ではなかっただけに、私達はびっくりしてしまいました。あっけない同級生の死で

した。そんなわけで、今もこの建物を見るたびに在りし日のF君の事が懐かしく思い出されるのです。

 K君が倉敷にいると聞いたのは随分以前の事でしたが、実際に再会したのは彼が仕事の関係で私の職場

に来た時でした。老けたとはいえ幼い日の面影は残っていました。彼とは中学校を卒業して以来の再会でした。

今はA社の系列会社であるエンジニアリング会社に勤めているとの事でした。

 その後、一時期は音信不通だったのですが、彼の子供さんが私の家内の勤めている保育園に来ていると

聞き、早速、電話をしてみました。晩婚だった彼は、奥さんの実家がある児島に住んでいるとの事でした。

それからは彼も倉敷同窓会の一員になりました。

 彼がメンバーになった年の同窓会は、彼が手配してくれたA社の社員クラブでした。この日は、あいにくと

お客さんが多いと言う事で、空き部屋がなく通された部屋は超特上のVIPが使う部屋でした。絨毯は沈み込む

ほどの分厚いものでした。大変ラッキーでした。ここでも又、気分が良くなり大いに語り、笑い飲んだものでした。

 倉敷同窓会のメンバーも増えT銀行に勤めているN君が新たに加わりました。T銀行の岡山支店に勤めて

いました。倉敷同窓会の主催で奥津温泉方面を旅行した時には、彼が自社の保養所を準備してくれました。

 奥津温泉とは言いながら温泉街からは少し離れていました。お湯は近くの山から独自にボーリングして引いた

ものだとの事でした。従って、余った湯はそのまま川に流していました。羨ましいような話でした。

 みんなT銀行へ勤めている人の家族だという事にして貰いました。しかし、顔ぶれを見ればすぐに分かった

はずです。そんな私達でしたが保養所の皆さんは快く歓迎してくれました。料理はここで作っているようでした。

 N君の行き届いた配慮のお陰で、宿泊代も随分安くして貰いました。外に出なくてもカラオケがあり、スナック風

の部屋もあって、二次会も大いに盛り上がりました。

 周辺の山々はすでに紅葉が始まっていました。保養所の川沿いには細い散歩道がありました。散歩道の

足下には奥津渓谷の水が音をたてて流れていました。お湯は無色透明のきれいな温泉でした。湯上がりの

肌がつるつるするような気持の良いお湯でした。男湯と女湯に分かれた比較的大きなお風呂でした。

 N君のお陰で楽しい一夜を過ごす事が出来ました。久しぶりの再会は会話も弾むものです。みんなそれぞれ

に過去があり、今があるようでした。中学生の頃と言えば、まだまだ社会の事を知らない子供です。中学を

卒業し進む道はそれぞれ分かれました。そして、それなりにみんな苦労をしたようでした。こうして久々に

再会し、卒業後の様子を聞いてみると、そんな事もあったのか、そんな事を考えていたのかと、今更ながら

驚くような事ばかりでした。

 最後になりますが、倉敷同窓会では一番古いメンバーであるT君の事を書きます。彼は私が倉敷に転勤して

きた事をどこから聞いたのか真っ先に尋ねて来ました。まだ、二人とも独身の頃でした。彼はT電力に入社し、

その頃は共同火力に出向していました。従って、住んでいたのもその会社の独身寮でした。何度か転勤が

ありましたが、こちらに帰ってきたら必ず会って一緒に飲んでいました。

 その彼が紹介してくれたのがT電力の宮島保養所でした。その頃は倉敷同窓会だけではなく、神辺在住者も

参加するようになっていました。参加者が増えた事もあって、思い出の小学校の修学旅行コースを旅してみよう

という事になりました。広島市内を出発点に原爆ドームや広島美術館、縮景園を歩きました。広島市に住んで

いるN君やHさんが中心となって市内を案内してくれました。

 広島市を後にして次に行ったのが宮島でした。私達が旅した時は11月でした。紅葉の真っ盛りの頃でした。

ちなみに同窓会の旅行で雨が降った事は一度もありません。この日も最高のお天気でした。澄んだ青空の

下での紅葉は、ことさらに美しく輝いていました。

 T君が手配してくれた保養所は宮島口にありました。窓からは宮島が見える位置にありました。会席料理は、

海が近いだけに海の幸が一杯でした。ここは広島の牡蠣を初めとして海産物の豊富なところです。宴会には

仲居さんも来てくれました。それにも関わらず宿泊費が驚くほど安かったのです。

 明くる日は仕事の都合で帰るものもいましたが、残ったものは岩国の錦帯橋まで行きました。錦帯橋でも

心ゆくまで秋を楽しみました。今も宮島の大鳥居や建物の朱色に勝るとも劣らない紅葉谷の紅葉を思い出し

ます。これも長く続いた倉敷同窓会のお陰です。

 ここでは同窓生が勤めていた会社の保養所や寮の紹介をしました。その同窓生もみんな定年退職をする

ような年齢になりました。来年は還暦祝いを兼ねて全員が集まる事になっています。素晴らしい思い出を

いっぱい作ってくれた同窓生に感謝をしつつ、今年の同窓会旅行に思いを馳せています。

                                               2003年11月21日掲載

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