海人(あま)の国ロマン

 地図で日本列島を眺めていて、こんなことを感じたので書いてみたい。日本列島は周辺を海で取り

囲まれている。そして、日本人の遠い祖先は海洋民族だという説がある。俗に言う海人(あま)である。

日本列島は海岸周辺の平野部を除くと、大半は深い森に覆われた山また山である。中には北アルプス

や南アルプスと言われるような峻険な山脈によって東西や南北を分断された地域もある。

 しかし、一方、海に目を転ずると行く先を遮るようなものは何もない。目の前には広々とした海が広がって

いるだけである。穏やかでありさえすれば、行き来するのにこんなに便利な道はない。私達の祖先の

多くは海辺の小高い丘に住んできた。それも交通と言う手段を考えての事だったのではないだろうか。

内陸部の道なき道を進むよりは、海を行く方が遙かに便利だったはずである。

 地図を眺めると瀬戸内海には多くの島々が点在している。昔から瀬戸内海は重要な海上交通の道で

あった。入江伝いに、あるいは島伝いに進めば、例え頑丈な舟でなくとも安全に移動できる。また、列島

の各所には、多くの岬が突出している。岬の先端から岬の先端へと渡れば、内陸部を遠回りすることなく

対岸にたどり着くことが出来る。このように日本人は海を巧に利用してきた。

 実は中国の大河長江には長江沿岸の切り立つような崖に点々と棺が置かれている。誰が何の目的で、

どのようにして、こんな高いところに棺を置いたのか未だ謎に包まれている。最近の研究では長江下流域

に住んでいた「ボー人」と言われる人達が、新しい居住地を求めて長江上流域に移り住んでいったのでは

ないかと言われている。彼らが葬った棺の脇には、丸の中に星形の模様が幾つも残っている。その模様は、

銅鼓という青銅で作られた太鼓に似た楽器にも記されている。その楽器には、装飾として舟と舟に乗った

人の姿も描かれている。そして、棺の中には明らかに舟を模したと思われるようなものもある。これらから

推定して「ボー人」の祖先は海洋民族だったのではないだろうかと言われている。

 中国の研究者の一人は、これら「ボー人」の一部は長江下流域に住み着き、また、他の「ボー人」達は

南太平洋の島々に展開し、琉球列島を北に遡っていったものもいるのではないかと語っている。中国の

雲南省貴州県には「ボー人」の末裔だと言われている水族の人々が住んでいる。彼らの顔かたちは日本人

に非常に良く似ている。同じ中国でありながらも漢民族とは明らかに異なる顔立ちをしている。

 以前、雲南省の特集を見たときにも感じた事であるが、雲南省に住んでいるミャオ族等の顔かたち、

そして、建物の千木に似た装飾、歌垣と称する風習等、彼らの文化や生活習慣に何かしら日本と相通ずる

ものを感じるのである。

 銅鼓に描かれた星の形は太陽を現している。そう言えば日本は古くから太陽を自然神として崇めてきた。

そして、天照大神(太陽)は伊勢神宮のご神体でもある。彼らの頭蓋骨には抜歯の風習が見られる。

岡山県笠岡市の貝塚で発見された人骨にも抜歯の風習が見られる。そして何よりも日本人は海と深い

関わり合いをもって生きてきた。

 このように抜け落ちたコマをはめ込んでジグソーパズルを完成させていくと、日本人の遠い祖先と彼ら

「ボー人」との繋がりを何故か感じてしまうのである。そして、遙か数千年昔の壮大なロマンを感じるのである。

                                             2004年6月24日掲載

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