愛は地球を救う

 今、地球は未曾有の危機的状況にあると言っても過言ではない。それは地球温暖化による

気候変動の問題であり、北極や南極の上空に大きなオゾンホールが出来たとき以上の大問題

である。

 過去の歴史をたどると幾多の巨大文明が勃興し衰退を繰り返してきた。それは都市文明が

必然的に抱えていた資源の枯渇や住環境の変化や人間社会の退廃が原因であった。しかし、

これまでの衰退は地球から見ればほんの一地域の問題であり、地球全体や人類全体に影響

を及ぼすほどのものではなかった。

 ところが、地球温暖化による気候変動はオゾンホールとは比較にならないくらい深刻な問題

であり、地球規模の問題である。かつて人類が経験したことのない未知の問題である。地下

資源、特にエネルギーとして手に入れた石炭や石油や天然ガスと言ったものは、地球が、気が

遠くなるほどの長い時間を掛けて蓄積してきたものだ。気が遠くなるような時間を掛けて蓄積

したものを、その長さに比較すると較べものにならないくらいの短時間でいま使い尽くそうと

している。

 新たに開発されつつある地下資源の採掘にも限界が見えている。その結果、資源の枯渇と

エネルギーを使い切った後の廃棄物としての二酸化炭素が大量に大気中に蓄積され続けて

きた。言い換えれば過去の遺産が形を変えて私達に重い負の遺産としてのしかかっている。

 このまま推移すれば、大気の温度も海水の温度も更に上昇を続けることは間違いない。また、

二酸化炭素を地下や深海底に押し込めようと言う研究もなされているようだが、すでに大気中

に放出されてしまった二酸化炭素を集めることは容易な事ではない。

 文明の崩壊は周辺環境の破壊だけでなく人間の心まで壊してしまうもののようだ。旧約聖書

に書かれたソドムとゴモラに代表されるように、人間社会の秩序もモラルも壊してしまうのは

人間が克服することの出来ない永遠のテーマなのであろうか。

 アメリカ発のグローバル経済は単なる経済的な変化をもたらしただけでなく人の心まで変えて

しまった。お金が全ての世の中を作ってしまった。勝ち組と負け組がはっきりと色分けされ、

負け組はどうあがいても勝ち組になることは出来ないという固定化された社会を作ってしまった。

 拝金主義はお金が全てであり、人の愛でさえお金で買えると豪語してはばからない。ものの

売り買いの手段であったはずのお金が、お金でお金を売り買いしお金を儲けるという、おおよそ

私達が習った経済論では説明が付かない世の中になってしまった。

 かつてないほど事件が多い昨今である。毎日のように殺人事件が起きている。中には子供

が親を殺し、自分がお腹を痛めて生んだ子の命を断つ母親がいる。ほんの一昔以前には

考えられなかったような殺伐たる事件が多発している。

 かくも簡単に人を殺すことが出来るという人の精神構造はどうなっているのだろう。事件には

ならないものの、高価な自家用車を乗り回していても学校の給食費を払わないと言う破廉恥な

親がいる。生きることに意義が見出せなくて集団で自殺するものもいる。自分の生きている証

が欲しくて自分の手や体を傷つけるという若者が増えている。

 これらは一過性のものではない。それが証拠に様々に姿を変え深刻さを増している。私達の

心の中にどんな変化が生じているのだろう。この状態は現代版のソドムとゴモラだと言えない

だろうか。あのイースター島が近年「モアイの島」ではなく「裸の島」として注目されている。

モアイ像の姿が異様な故に不思議な島だと言われてきた島ではあるが、それ以上に、この島

に巨大なモアイ像を何体も作ることが出来るほどの人が住んでいたことが不思議なのである。

 島には木がほとんど生えていない。この島に住民達が移り住んだ当時、島や周辺環境には

それだけの条件が整っていたに違いないのにである。推測ではタヒチ島のように緑豊かな島

だったと言われている。海から得るものと島には豊富な食料となるべきものがあった。

 しかし、島であってみれば自ずと限られた資源しかなかったはずで、その資源(多くは椰子の

木を初めとする多様な植物群)を浪費することによって、島は急速に荒廃していったのでは

ないだろうか。人々が危機的な状況に気が付いたときには、漁に出る船を造る材料さえなく

なっていたのではないだろうか。こうして人が人の肉を食らって食いつなぐという悲惨な状況に

なっていったようである。

 ヨーロッパ人がこの島を発見したときには、わずかばかりの人口になっていたと言われている。

その上、ヨーロッパから持ち込んだ 病原菌が更に島民の数を減らしたようだ。

 地球はイースター島と同じような運命をたどっている。しかし、多くの人はその事に気付いて

いない。私の地球温暖化防止の講演では見てきたイースター島の姿を常に紹介し、地球の

未来をこのような姿にしてしまわないためには、今から何をなすべきか考えて欲しいと提起して

いる。

 地球温暖化問題が後へは引き返せないほど深刻であるにも関わらず、二酸化炭素の排出権

と称して商取引の対象にしている。環境問題、ことに地球温暖化問題を商売道具にすべきでは

ない。そんなことをしている内にも地球の温暖化は急速に進んでいることを忘れてはいけない。

人間というものは、どこまで愚かなのであろうか。

 日本人は地球2.4個分の生活をしていると言われている。地球上の人口は急激に増加して

いる。それにも関わらず気候変動により砂漠化が進み、水資源は極度に乏しく耕地面積は

激減していると言われている。世界の穀物を供給できるのはほんの一握りの国だけである。

これらの国でさえ、ここ数年の干魃で生産が激減している。

 更に追い打ちをかけているのは愚かな人間の行いである。環境問題に名を借りたバイオ

エネルギー生産への穀物転用やサトウキビ畑への転換である。ただでさえ飢えた人が多い

上に、その貴重な穀物すら儲けのために使うという、この愚かさを何と考えれば良いのだろう。

 日本人も愚かなる点に於いては変わらない。自国より安い農作物の輸入は国内生産を衰退

させている。それをしているのは日本の商社である。しばしば農薬汚染で問題になりながらも、

未だに輸入を止めようとはしない。

 少子高齢化と都市への人口移動は農村を疲弊させている。農村に残っているのは高齢者と

言われる移動手段を持たないわずかな人達である。限界集落などと人聞きの良くない言葉が

使われている。

 地方の荒廃は何も田舎だけではない。地方都市も同じような運命をたどっている。地方都市

の郊外には巨大なショッピングモールが建ち、買い物客を集めている。その結果、駅前商店街

と言われたところにはシャッターを下ろした店や売り店舗が目立つようになってきた。

 ここでも商売では食べていくことが出来なくなり、跡継ぎの多くはサラリーマンになっている。

こうなってしまうと二度と再び街の活気を取り戻すことは難しい。本当に大型ショッピングモール

は必要なのだろうか。従来であれば魚屋さんは八百屋さんで野菜を買い、八百屋さんは酒屋

さんで酒を買う、酒屋さんは魚屋さんや八百屋さんで魚や野菜を買う、このように地域の中で

お金が回っていた。大きく儲けるものもいなければ、大損をするものもなく、皆が互いにお金の

やりとりする中で生活が成り立っていた。

 今の大型ショッピングモールは地方のお金を吸い上げていくマシーンのようなものである。

そのお金は決して地域にUターンする事はない。この状態が続くとどうなっていくのか。東京や

大阪と言ったところは人であふれ、仕事にありつけない人は露天で寝起きをする。都会を支え

てきたのは農村だが、その支えを失った都市も衰退に向かうに違いない。人の溢れた都会では、

犯罪が増え、退廃した文化がますます人の心を荒廃させるに違いない。

 人の心はお金では救えない。一時的に救えたとしても長続きはしない。人の心を救うことが

出来るのは宗教ではない。宗教は自らを肥え太らすことに使われても人の心を癒したことは

ない。人の心を救うことが出来るのは人を愛する「心」だけである。人の喜ぶ顔が見たい、そう

思う「心」である。人を愛おしく思う「心」である。宗教の始まりも人への愛であった。今こそ「愛」

を見直したいものである。

 地球という対象はあまりにも大きすぎて足元がよく見えない。しかし、地球は病んでいる。

それは地球に巣くっている私達自身が病んでいるからだ。地球を温暖化から救うためには、

私たち自らが変わらなければならない。私たち自身が利害関係抜きにお互いを思い、お互い

を愛する心を育て、地球を愛する気持ちにならなければ、この窮状は救えない。

                                  2008年7月30日掲載

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