負の連鎖

 パレスチナ人によって繰り返されるテロ活動、その都度、エスカレートしていくイスラエル軍によるパレスチナ攻撃、

パレスチナ人とユダヤ人の報復合戦は途切れることがありません。敵対し合う両民族の争いに終止符を打つ方法は

ないのでしょうか。

 両民族の争いがエスカレートし始めたのは、第二次世界大戦後に遡るようです。古くは、この地にユダヤ民族の

国家があり、多くのユダヤ人が住んでいました。しかし、繰り返される異民族の侵略や占領によって、ユダヤ人の

多くはこの地を捨ててヨーロッパ各地に散っていったようです。ローマ帝国などがこの地を占領して以後の事です。

 その後、この地ではパレスチナ人が中心となり遊牧生活等で暮らしていたようです。かつての遊牧民には領土と

いう観念はあまりなかったのではないでしょうか。

 一方、この地を離れたユダヤ人達はヨーロッパ各地に点在しながらも、彼らの宗教であるユダヤ教を心の拠り

どころとして、共同体としての意識を捨てることはなかったようです。どこの国に住んでいるユダヤ人達も、かたくなに、

その地域への同化やキリスト教を拒み続けて来たようです。そのために多くの国でユダヤ人に対し、ある種の差別

意識と反感を抱いていたようです。ドイツでもそうでしたし、ポーランドやロシアでも同じではなかったのでしょうか。

 最初の集団移動が始まったのはロシアに住んでいたユダヤ人達でした。彼らユダヤ人が目指したのは、彼らの

祖先の地であるエジプトに隣接しヨルダン、シリア、レバノンに囲まれた小さな土地でした。その後、世界各地から

こうした多くのユダヤ人達が次々にこの地へ戻り始めたのでした。

 誰も住んでいない土地であれば問題はなかったのでしょうが、そこには長くパレスチナ人達が住んでいました。

その上、お互いに信ずる宗教も異なっていました。こうして民族間の対立が生まれて来たのです。今まで住んでいた

パレスチナ人達にしてみれば、何で今更この土地に帰ってくるのかという思いがあったに違いありません。

 ユダヤ人達がこの地へ帰るに当たって後押しをしたのがイギリスでした。そしてユダヤ人はこの地を自分達の国家

として独立宣言しイスラエルと名付けました。その後、建国間もないイスラエルに対し国として認知できないとして、

エジプトを中心とするアラブ諸国家は一斉に攻撃を開始しました。これがパレスチナの後押しをするアラブ連合と

イスラエルとの間に起きた第一次中東戦争です。1948年の事でした。以来、長く激しい対立の時代が続くのです。

 パレスチナはイスラム諸国家の後押しを得てアラファトを議長に選出し、パレスチナ自治政府を作りました。そして、

この地に於いては両民族の和解と対立の繰り返しが歴史となって来たのです。その後もイスラエルは入植と称して

パレスチナ人の住む土地を浸食し続けて来ました。それは強力な軍事力を背景にしたものでした。憎しみは憎しみを

呼び果てしない負の連鎖となって今も続いているのです。

 解決の方法はないのでしょうか。少なくともクリントン政権時代までは、アメリカ政府も両者の和解に努力してきました。

その背景には次のような理由があったのです。1948年、時の大統領トルーマンが世界各国を出し抜いて、独立宣言

間のないイスラエルを国家として承認したのです。その背景には自分の選挙戦を有利に闘うため、アメリカ国内の

ユダヤ人の票が欲しかったからだと言われています。

 しかし、ブッシュ政権になってから一転しました。今までも、どちらかというとアメリカはイスラエル寄りの政策をとって

きました。過去の経緯からすれば両者の和解のためにアメリカは労を惜しんではならないと思います。今はイラクの

フセイン政権打倒などと言っている時ではないのです。

 今、改めて現実味を帯びて囁かれ始めたのがパレスチナ人の国家樹立です。アメリカが後押しをしてパレスチナ人の

国家を作る事こそ急務ではないかと思っています。アラファト議長の指導力も低下しています。この際、パレスチナ人

指導者の幅広い結集を計り、早期に実現に向けて努力することこそ、負の連鎖を断ち切る唯一の手段だと思うのです。

もうこれ以上、両民族の無駄な血を流す事は出来ません。血で血を贖うなど、愚かなことを繰り返してはならないと

思うのです。

                                                     2002年8月20日掲載

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