私見

 

数学勉強法?

 

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−「高校数学」についての私見−

大学の入学選抜試験の問題(以下入試問題)の解法の研究やそれの指導をする。そのような数学の学習を「受験数学」と総称されることがある。私は、そのような特別な数学があるとは思わないが我が国の入試問題にはときとして、特別な練習をしなければ解けない問題が登場することも事実である。中には、出題者の趣味ともいえるような奇問の類に出くわすこともある。しかしながら、昨今の問題をみていると、そのような問題はかなり減少している。よく考えられ練られた、また高校現場の教育内容を理解した良問も多く見られる。勿論、入試問題はあくまでも「選抜」を目的として作成されるのではあるが、それだけが目的ではない。数学的な思考力や論理的な構成力などを評価するための一つの軸にならなければならない。また、数学という学問が「自由なアイデア」を尊重するのであれば、より発展性のあるものでなくてはならないであろう。しかし、このことは問題自体に「大学の数学」を盛り込むということでは決してない。

ところでここ何年来、「数学嫌い」「理科離れ」が増えているという。文部省はその「指導要領」で、数学の負担を減らすべく様々な改訂をしてきた。たしかに「選択科目」を作り、料理のアラカルト方式を採用しているが、肝心の重要な項目まで削除してしまっている。「微分方程式」などは「微分積分」のまとめとして、また、大学数学への入門として残しておくべきである。「変数分離形」だけで十分である。それに対して、「数学B」に入っている「複素数平面」(なぜ、「複素平面」「ガウス平面」ではいけないのか?)などは、亡霊のごとく蘇ってきた。これを高校数学で取り扱う理由はどこにもない。「数学B」であるから、選択しなくてもよいといってもらっては困る。現実に大学入試では堂々と出題されているのである。

「複素数平面」などは、大学において、理工系(それも数学・物理・化学、電気工学等の分野)で複素関数論を学ぼうとする生徒以外にはあまり必要のあるものだとは思われない。入学してからの学習で十分である。(新しい改訂では、姿を消すことになるようだが?)

残念ながら、我が国の数学教育には、これという基本的な視点や中心軸がないというのが現状である。高度の専門知識を有した大学の教官と同時に現場の教員(小学校・中学校・高校)を交えて協議機関をつくり、「算数」〜「初等数学」さらには「高等数学」へと続く一貫した方向性を打ち出す必要があるのではないかと思う。その場限りの「改訂」でお茶を濁すことは許されない。有為な才能の芽は伸ばされなければならない。

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「数学の勉強法は?」と聞かれて

数学の勉強法は?と生徒からの質問が集中することがある。たいがいは定期考査の前などが多いのであるが、大学入試を1ヶ月後に控えた頃にもそのような質問を受けることもある。さすがに即答できずに、「しっかり問題を解きなさい」というしかなかった。的をはずれた返答ではないにしろ、あまりにものんびりした生徒の質問にそう答える他はなかったと思う。そんな質問を受ける度に、私なりに数学に対する「How to」について整理してみた。

長い間高校生を相手にしていて、大きく2つのタイプがあるようだ。


(1型)<ファイル型>

このタイプの生徒は、問題を項目ごとにファイルに分けて整理する。問題が出題されると、これはAタイプであるから、この解法でいこうと方針を立てる。ファイルにするためには頭の中で整理し、暗記しておかなくてはいけない。かの有名な数学者 岡 潔 博士 は、暗記力抜群だったそうである。また、数学の教師のなかにも「数学は暗記科目である」と断言する人もいる。

(2型)<オリジナル型>

このタイプの生徒は、時間をかけてじっくり考えることが好きである。公式や定理についてもなぜこうなるのか?と疑問をぶつけることが多く、それらの証明までをきちんとしなければ気が済まないようである。問題が出題されても公式などを覚えていない場合が多いので、その場で導き出そうとする。当然時間が足らなくなり、得点もあまり期待できない。


数学を競馬に例えるならば、(1型)は先行馬であり、(2型)はいうなれば追い込み馬である。競馬の場合は、たいがい追い込み馬が逆転するシーンが多く見られるが、こと数学の場合は「短期決戦=試験等」では圧倒的に(1型)に軍配が上がる。時間を十分与えられた試験(例えば大学の個別試験など)では、どっちともいえない。世に有名大学といわれるところの個別試験では、けっしてステロタイプの問題は出題されない(?)のが通常である。そうなれば<オリジナル型>の生徒の本領が発揮されるようになるだろう。しかし、(1型)の生徒が不利かというとそうとも云えない。何ごとも徹底的にファイル化し整理している生徒にとっては、この問題に対処するためのファイルの項目を探し出してしまうだろう。結論的に言えば、どちらの勉強法も間違いではない。ちなみに自己分析すると私自身は(2型)のタイプに入るのではないかと思う。

数学の学習はいうなれば、過去の文化の追体験と言っていい。例えば高校2年〜3年で学習する「微分積分」などは17世紀まで遡るし、(ニュートンやライプニッツ)幾何学を座標平面上で考察したデカルトになると16世紀である。従って、われわれの学習の意味するところはその時代の数学者の考え方(思想)に触れることである。公式や定理についてもなぜこうなるのかという疑問を抱くことが出発点である。そういう考え方に立てば上の2つの学習法のどちらが本筋であるかは明らかであろう。

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