へりくつコラム


第7回「映画館」

 最初に言っておくが、私は映画に詳しくない。年に1本見るか見ないかである。今まで見た映画は、小学校時代にドラえもん(他3本立て)、ET、中学時代にプロジェクトA、漂流教室、高校時代にレッドブル、地獄のコマンドー、大学時代に平成たぬき合戦ぽんぽこ、社会人になってオースティンパワーズ(1,2)、タイムトラベラーズ、漂流街、チャーリーズエンジェルである。覚えられるくらいしか見ていないが、上記のは劇場での話で、ビデオ、テレビ等ではもう少し見たことはある。

 なぜ映画館に通わないか。
1,親の方針で、映画代がもったいない。
2,あまり文化的生活にお金をかけない(特にメディア)
というのが理由であろうか?1はテレビ等で見ることで解決できるが、2は文化的飢えが深刻である。ある程度の文化的生活にはお金がかかるのだが、物質的欲望の現代(私?)では確かに軽視される。

 では文化的飢えがもたらす問題とは何であろうか?話題がなくなる、想像力の欠如、ゆとりの生活(考え)などが一般的に思い浮かぶが、私の場合そうではないように思う。
 想像力は奇抜(奇人変人?)だし、話題もCM、雑誌等で追いつくことは可能だ。私が思うに(私の場合は)映画を見ない一番の問題は夢を見ることがない、である。

 想像力の夢ではない。他人が表現する「夢」に触れることにより心に刺激が与えられる。それがいい刺激でも悪い刺激でも、現実から逃避した世界で与えられる刺激は自身の想像力に比べて刺激は強い。
 文化的作品に触れることの意義は、逃れることのできない現実の世界から逃避し、心を安らげることのできることだと思う。

 では映画館とレンタルビデオの違いは何か?コンサートとMDダビングの違いは何か?
 それは、本物に触れることの違いではなかろうか。最近の技術では本物並みにいい品質の文化作品がある。映画館に行かなくても、コンサートに行かなくても、野球場に行かなくても、海外に行かなくても行ったのと同じ知識を得ることができる。
 しかし、感動や経験はやはり本物でないと得られないはずだ。仮に疑似体験で得られたとしても、やはり何か違うはずだ。

 本物は高い。本物は面倒くさい。しかし本物に触れていなければ物事の「本質」「根底」にたどり着くことはできない。
 映画で例えたが、料理にしても音楽にしても本物に触れることは非常に大事だ。だがやはりここで本物とは何か、という問いに直面する。本物のCDと海賊版のCDとは何が違うのか。コンサートで聴く音楽と、アーティストみずからが出すCDとでは何が違うのか。

 結局のところ満足度の問題ではなかろうか?満足度すなわち欲求である。物欲と同じくいいものを求めようとする欲求が本物を求め、満足感を得ようとするのである。これは個々の感性の違いであり、野球場で見る野球よりもテレビで見る野球が便利というのも一理ある。

 誰しも文化的欲求はあると思う。後はお金の使い方次第ではなかろうか?お金があるないの問題もあるし。

2000/12/18

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