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尾道と私

私は自分の育った町、尾道が子供のころから好きでたまらなかった。
「自分が大きくなってもし有名人になれたら、『尾の道子』と改名して尾道の町を宣伝するのだ」と言って大人達に笑われた。

尾道の東側、久保町(現在の久保)一帯の新開はたくさんの料理屋、クラブ、バー等が集まっていて、迷路のような路地には赤や黄色のネオンが点滅していた。
その間を縫い小学生の私は画塾へ、ガタガタと画板を鳴らして通った。

この南側には浄土寺があり境内から目の前に広がる港を見下ろす造船所には何時も赤い大きな船がドッグ入りしており、その横を漁船が行き交っていた。
尾道の碧色(みどり)の海には山がせまり、山の斜面には雛壇上に家々が並び、その中ひときわ大きな屋根瓦を持つ古寺が重なり合っている。
その間には細長い坂道と石段が通り、どの道にも尾道の温もりと、匂いがしているのである。

幼い頃からこの道を歩き、境内から海を見下ろし、すぐ下を走る山陽線の電車にまだ見ぬ遠い町を想い、一人この海や山の緑の中に甘え、夢見る少女だった私は、この尾道の石段と路地を何百回も上下しながら、白い画用紙の中に大好きな尾道の町を描いた。
私の白い画用紙は浄土寺、尾道水道、千光寺、西国寺等、次々と尾道の顔をそこに見せた。
私はますます尾道を好きになり、絵を描く楽しさを小さい体一杯、溢れるように味わっていた。

今まだ「尾の道子」と改名出来ない私なのだが、尾道を愛する事と、絵を描く楽しさは変わることなく健在している。
そして今、願わくは、より多くの人達に私の自慢の尾道を訪れてもらい、暖かい尾道の匂いを感じ、触れてもらいたいと思っている。

サトウリツコ